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【読書】命に関わる悪い報せをどう伝え、医療者としてどう向き合うのか_「死にゆく患者(ひと)と、どう話すか」

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困難を前にした人に絶句するだけの自分

身近な人が病に倒れたとき。回復のきざしが見られない時。困難の最中にいるその人と、どうやって日々の会話をするだろう?心からの「つらい」や「しんどい」訴えに、何も言うことが出来ずに沈黙してしまうか、逆に言わなくてもいいような事、デリカシーのない事を沢山喋って空回りしてしまう…という想像をよくします。普段からコミュニケーションがうまくいっていない相手(自分の父親とか…まだ元気だからいいけど)の介護をイメージすると余計心配なんだよな。

<目次>

死にゆく患者(ひと)と、どう話すか

死にゆく患者(ひと)と、どう話すか

死にゆく患者(ひと)と、どう話すか

 

 日赤看護大学での「コミュニケーション論」での講義録を書籍化した、医学書院の「死にゆく患者(ひと)と、どう話すか」を読みました。専門用語も多いけれど、医療関係者じゃない人でもちゃんと理解して読める本です。一晩で読みきってしまった。

著者は國頭英夫先生。国立癌研究センター等を経て日本赤十字社医療センター化学療法科部長現職。里見清一名義での小説や、フジテレビの医療ドラマ「白い巨塔(平成版)」「コード・ブルー」の監修なども。

どの回もかなり踏み込んだ講義

  • がんの告知をどのようににするか(場所・タイミング・家族や看護師の同席の有無)
  • (患者の知識は医師と同等にはなりえないのに)何がインフォームドコンセントか?
  • DNR(Do Not Resuscitateの略・回復が不能な状態になったとき、蘇生措置しない許可)オーダーをいつ取るべきか、「いよいよの時」に「自分が殺したのではないだろうか」と患者家族の負担を増やすだけではないのか?

等など、大学一年生の授業としてはかなり濃く重い。「死にゆく患者とどう話すか?」というレポートのテーマもかなり難しい。正解を定義できないことですもんね。それでも國頭先生は「こうするんだ(こうしてきたんだ)」という答えを一度は提示し、生徒達にも同様に答えを出すことを求めている。それは彼女達がプロになっていく過程で必要なことでもあり、戸惑いながらも答えを探していく彼女達を見守る優しさ(面白がり?)みたいなのも感じられる。

本作では國頭先生が実際に監修したドラマでの告知シーンを実際に再生しながら講義を進める場面も多く、それほど丁寧に作られているんだと驚きがあった。当時見ていたはずだけど、「白い巨塔」本当に良かったもんな…。久しぶりに見たらちょっと泣いてしまう。

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(このシーン、里見のトーン、レントゲンの位置、患者に喋らせるところ、泣かせてあげるところ、受け止め方、告知としてはかなり良いものだそうです。)

やるべき事がなくなったとしても

最も心に残ったのは、國頭先生がいちばんきついと言った「積極的治療の中止」を告げる際のエピソード。手術や投薬で医者と患者が「共に戦っている」時はまだいいが、積極的治療を「もうやるべきではない」と言うべき時が必ずくる。

「その時患者さんは、医者だけがいきなりいち抜けたで戦線離脱するように感じるだろう」

と語っておられること。緩和ケア・ターミナルケアのことを想像したことはあっても、その導入にまで思いを馳せたことがなかったので、ぐっと重い気持ちになった。いよいよ「その時」を待つだけになるのか…という現実、私が家族だったら早々受け入れられないかもしれない…。でも医療者は移行すべきだと言う、きっと解ってはいても、せめぎあいになるだろうな。

医療者達は、患者や家族の落胆や絶望を受け止めつつ、緩和ケア・ターミナルケアに移行する、それに大きな意義があると伝えなくてはならない「これで終わりではないのだ」「やることはまだまだ沢山あるのだ」と熱っぽく語る様は愛の言葉のよう。死を介して人間同士が向き合う時、見送る側の人間は本当に裸になる。語ろうとすればその人の本質が暴かれるし、あえて語らない選択をするときでさえ、状況を「引き受ける」覚悟が求められるんだな~としみじみ感じ入りました。